急いで安全な群れの中へ

要領の悪い子もいますから

「慣れ」の走り書き

どんなものも人は慣れる。

「慣れるべきじゃないもの」にも人は慣れる。

嫌だと思うものとか、健康を害するもの、本来人が自分の状態を良好に保つために拒絶するべきものが、拒絶できない状態が続き、慣れてしまった状態がある。

 

そういうものに慣れてなくてしっかりとストレスやショックを感じる人は、健康だと思うし、一緒に過ごしていて、自分の健康のためのヒントをくれる良い存在だと思う。

「そうか、本来それくらい嫌なもので、自分は不必要に慣れてしまっているんだな」と気づくきっかけになる。

 

抽象的に言うとこうなるけど、具体的には例えば、親の言動とか。

健康に生きてる人でも親の言うことが嫌で許せないと思うことは当たり前にある。

「誰でも嫌なことなんだな」「そりゃ嫌だよな、俺ももっと嫌がっていいはずだな」という認識が得られるのはとても健康的だなと思う。

 

親もまた、親の親に"慣れさせられてしまっている"ことが多いんだろうなと思う。ストレスに慣れた人間が人にストレスを与える連鎖は親子に限ったことじゃない。

ストレス過剰な環境でまともにストレスを受けていたら死んでしまうから、適応は生き物として生存のための機能だ。

人間社会は不完全だし、ストレス過剰な環境を根絶することができるわけではない。

全体として不幸の総数を減らすためにできることは、自分が個人として自分の「不必要な慣れ」を自覚して、それを遠ざけて、少なくとも自分はその連鎖の次のパーツにならないよう努めることじゃないだろうか。

ストレス社会とか言われているけれども、言うほど世の中どいつもこいつもストレスに慣れているわけじゃない。交友関係じゃなくても画面越しの人でもいい。健康な人からいい影響を受けられる機会はきっと意外に多い。そんな気がする。