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自分が通ってきた「メンヘラ文化」について

明日、「2010年代のメンヘラ文化」をテーマとしたトークイベントに行くので、
聞く姿勢を作るための準備として、
「自分が10代の頃通ってきた”メンヘラ文化”」あるいは「”メンヘラとしての自分”に影響を与えた作品」について振り返ってまとめておこうと思う。

 

行くイベント「メンヘラ以降ぴえん未満」

https://twitter.com/r2t5y6y/status/1610241351114952704?s=20&t=ny1bVbP4L-Zd_l-x4Th5TQ

 

 

高校生の頃に描いた作品

 

 

0、はじめに

「メンヘラ」という言葉の意味や文脈があまりに多様化しているので、
メンヘラの云々について主観的な立場で語る時、「そもそもお前は己のどの部分をメンヘラだと感じて喋っているのか」は明確にしておくべきだと思う。

それで言うと自分は自分の、「死にたいという感情があること」そして「感情を持て余し扱いに困る、根本的な人間性の未熟さ(未発達さ、幼稚さ)」を指して「自分はメンヘラだ」と言っている。

「恥の多い人生を送ってきました」であり、「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」であり、「得体の知れない不吉な塊が私の心を始終押さえつけていた」である。

 

また、メンヘラの意味が多様化していると言っても、その中心にあるイメージ、
「そうは言ってもメンヘラと言ったらこういう人だよね」という型があるとも思う。

自分はその中心にあるイメージは「依存的であること」だと考えている。
恋愛、ファッション、美容、承認欲求、性欲、ドラッグ、自傷行為
そしてそれらへの依存が、他人から見ても本人の中でも、断ち切れる気配がない、どうやめたらいいのかわからない、といった要素も含む。

一時的に何かに依存するのは”健康な人”でもあることだが、それが恒常的になってやめられる道筋も見えず、一生このままだと感じられ、人生観に組み込まれてしまっているのが「メンヘラっぽさ」の条件としてあると思う。

 

そして、自分はそういった依存や破滅に向かう人生観に対して、そもそも全く肯定的な価値観は持っていない。
最近更生してきたというだけの意味ではなくて、昔から自分のそういった面を許したことがない。
むしろ身の回りの、俺の見た目上のメンヘラっぽさを見て交友があった知人のそういった、「自分はこれでいい」という向上心のなさには、強めの嫌悪感を抱いていた。

今自分が、作家として、メンヘラ的モチーフや描写を使って表現をやっているのは、
メンヘラが”病む”気持ちがすごくわかるからこそ、そのままじゃなくて、なんとかなってほしい、という想いがあったりもする。

 

だから、自分は「メンヘラという大きな枠」の範囲にはいると自認している(よう知らん人からしたら一緒だろうな、という自嘲的な感覚も含む)が、
「いわゆるメンヘラの典型」とはかなり距離を置いている方なんじゃないか、と感じている。

といった自己理解・自己認識を得るに至るまでの、
「俺のメンヘラ文化遍歴」を、以下、2010年代を中心に辿っていく。

 

 

1、中学時代

自分は1996年生まれなので、2009年に13歳の中学1年生。
まだインターネットに「自分のアカウント」を持たず、ただ眺めていた時代。
なんなのかはわからないが確かにある「息苦しさ」や「生きづらさ」と、思春期故の自意識が認識されてきた頃。

かなり象徴的なのは、梨本ういPによるボカロ曲『死にたがり』(2010)じゃないだろうか。

これは「厨二病」も大きく関わってくるけど、ボカロという存在に出会った当初、好き好んで「人柱アリス」とか「結ンデ開イテ羅刹ト骸」とか、ダーク調・ホラー調のものばかり漁っていた結果辿り着いたような記憶がある。
そして親の影響で既にギターロックが好きだったので、梨本ういはいろんな意味でドンピシャだった。

また当時最も熱心に読んでいた漫画は、久米田康治さよなら絶望先生(2005-2012)だった。
当時のお小遣いの半分を単行本に費やしていると思う。(もう半分は伊坂幸太郎の文庫)
絵柄にも強く影響を受け、だいぶ長いこと黒髪セーラー服ばかり描いていた。

 

『死にたがり』及び梨本うい楽曲と『さよなら絶望先生』の大きな共通点は、
鬱病気取り」「死にたいと言っておいていつまでも死なない」といった描写。
つまり、己のつらさ・死にたさを茶化すひねくれた姿勢である。
(死にたがってる人をバカにしているとも捉えられるが、どちらかというと自虐に近いと感じる)

要するに「文句や弱音が多い上に自意識過剰で優柔不断」という、太宰治人間失格』のような人物像。
これに自分が当てはまった、あるいは”当てはめてしまった”ことが、
自分の「メンヘラ文化」の入り口であった。

 

 

2、高校時代

自分の”メンヘラ的部分”が最も激しかったのが高校時代だった。
インターネットに「参加」し始め、精神疾患の知識に生半可に触れ、自傷行為を始め、恋愛トラブルや、家庭内トラブルがあった。

当時触れていたもので最も大きい存在は、THE BACK HORN(1998~)という邦ロックバンド。
「メンヘラ御用達アーティスト」とか言われていたうちの一つらしいが詳しくは知らない。何より身の回りでもインターネットでも全く流行っていなかったので、メンヘラ文化の文脈のどこにどう位置しているのかあまり把握できていない。

 

この頃の自分は自らの抑うつ状態と、環境へのストレスが限界近くに達していて、自虐的に茶化す余地もなく、暴力衝動や破壊的思考に苦しんでいた。

だからTHE BACK HORNの「全部壊してしまえ」と言ったり「このままじゃいけない」と言ったり「本当は優しく人を愛したい」と言ったりする、基本はハードロックだけど時々急にバラードになったりブルースになったりする音楽性と歌詞世界に、強い共感を得て、わかりやすく救われていた。

 

また、上記に『人間失格』『山月記』『檸檬』といった文学作品の有名な一説を引用したけど、これらに現代文の授業や読書を通して出会ったのも高校時代。
特に梶井基次郎檸檬』は自分にとって衝撃が大きく、作家として強く影響を受けている。

 

このあたりで、俺の「メンヘラ的世界観」は、
自己批判ブラックジョーク」から「詩と文学の世界」へと移行していった。

つまり、自分の感じている息苦しさや自分を嫌う感覚は、揶揄を恐れて自嘲するしかないのではなく、他人を納得させられるクオリティとオリジナリティがあれば、遺す価値のあるものだ、と知った。

 

 

3、大学時代

実家を出て上京し、成人し、タバコを吸うようになり、ピアスを開けた。
なんというか、大人には苦痛から逃げるツールや手段がたくさんあって自由なのだなと痛感した。
苦しみはあったけど、どちらかというと忙しさや、金のなさや、自分の能力不足と戦っていて、自意識に取り囲まれることが少なくなり、思春期を抜けたんだな、と思った。

この頃は一人暮らし故の「ワンルームでの自堕落な生活」を謳歌したり、ピアス含めファッションを楽しみ始め、「詩と文学の世界」から派生した「サブカル感」みたいなものを享受するようになった。

 

この時期に文化面で影響が大きかったのは洋画になる。
トレインスポッティング(1996)とファイトクラブ(1999)が特に大きい。

このあたりは「メンヘラ文化」として語られるものなのか微妙なんだけど、
令和においてメンヘラを語るのに外せない『NEEDY GIRL OVERDOSEというゲームでどちらも登場したのが、個人的にかなり嬉しかったのでこの流れで書いておきたい。

特に『ファイトクラブ』は、自分の「発狂した自分が何をするかわからず自分のことが信用できない」という苦しみというかどうしようもなさ、に近いものが見事に表現されていると感じ、感動した。

 

そして大学を卒業したのが2019年。
こうしてまとめてみると、まさに2010年代の文化と共に10代を生きてきた人間なのだな…

 

 

4、おわりに

一番多感な時期に「自意識過剰」と「破滅的衝動」で苦しんでいた身としては、
令和において若者のつらさが「ぴえん」で”片付く”のが羨ましくもあるし、
そういった苦しみから前向きなアイデンティティを掘り出した身としては、
「ぴえん」で片付けてしまうのは勿体無いとも感じる。

 

そして「はじめに」で書いた通り、俺はメンヘラが病みを免罪符に自堕落に破滅するのをよしとする”風潮”みたいなものが好きではない。

令和のメンヘラ的生き方なら、激しく何かに依存して破滅してしまうほど思い詰めなくて済んでいるのかもしれない、とも思うし、
ファッションになったことに「免罪符の普及」という側面があり、結果若者の向上心を奪っているのではないか、とも考えたりする。

 

本当に10代は悪夢のような日々だったので「あの頃のあの感じが良かった」とは手放しには言えないんだけど、2020年代に入ってからの「メンヘラ文化」に対する、違和感というよりは、「自分の頃とは違うのだな」という区切りの感覚は、確実にある。

 

自分もまたメンヘラ文化に参加している、あるいは参加したいと考えている、表現活動をする作家の1人として、腰を据えて考えたい内容だと思う。

明日のトークイベント楽しみにしてます。