急いで安全な群れの中へ

要領の悪い子もいますから

ありえないほど体力がない

それはもう、ビックリするくらい体力がない。

人生で体力があったことなんてないけど、それにしたって今の体力は、普通に生活を送るのに支障が出る。

 

ちょっと前まではVTuberのクラブイベントに通い詰めていたし、割と都心に出かけて人と会ったり買い物するのが好きな方だったはずなんだけど、今では想像もつかない。

園芸とかインテリアとか家の中での趣味が増えて、外に出かけずに心の栄養補給ができるようになり、わかりやすく出不精になった。たまに通院などの用事で外に出かけると、翌日ほぼ寝込んでるような状態になる。

 

俺は鬱状態に陥って、半年ほど布団から動けなくなるというのを過去2回経験している。

大学3年の2017年と、一昨年の2021年。

家から出ずに、それもずっと横になっていれば当然体力は落ちる。特に一昨年の療養期間を経てからは、年齢が20代後半にさしかかったのも関係あるのか、特に前より体力が落ちているのを感じる。

 

以前は身動きが取れない様な体調不良といえば、ほとんど精神由来のものだった。

とにかく体が重い。椅子に座れない。ペンが持てない。

逆にそのせいで大した作業時間を取れていないので、絵描きの割に肩も腰も全く痛めておらず人に気味悪がられるくらいだった。

それが去年ぐらいから、肩を揉んでもらって絶叫する人になってしもうた。どうして…

 

まぁその分、昔より精神的な負荷による症状はかなり減ったと感じる。

ストレスの外的要因から距離を取るのもそうだし、自分で自分を追い込む強迫観念をひとつずつ手放す"治療"が、上手くいっている。

肉体の衰えと、精神負荷の回復とのグラフが、どこかで交差して、出てくる症状が変わり、やるべき対処も変わった、というところか…。

 

 

 

俺は「自分は常にその時できることは全てやり、どんなに側から見ておかしいとかやらなきゃいけないとか怠惰だとか言われても、その時できないと感じたことはやらない」という姿勢を十代の頃から貫くことで、過去の自分がやらなかったことの負債が返ってきても、反省はすれど後悔はなるべくしなくて済む、という人生設計をしている。

あまりに理想が高く、「もっとこうしたかった」の「もしこうできていれば」を考え始めるとキリがないので、編み出した方法である。

 

鬱で寝込んだ時期、そこまで限界を迎える前になんとかなったかというと、当時の自分には無理だったと思う。挫折を経ることで成長した部分も大きい。

その頃から少しでも体力作りを意識していれば…みたいなことも考えるけど、当時の自分にそんな余地はなかっただろうし。

 

だから悔やみはしないが、だからといって今家から出れないのを仕方ないと諦めるのも性に合わない。

遠回りしたけど、別に、今から普通に体力作りをやればいい。というだけの話。

 

とはいえ、今の体力のなさは本当にありえない域なので、「体力作りのための体力がない」みたいな問題を見て見ぬフリするわけにもいかない。

自分を「"普通の"体力がない人」と同じように考えてはいけない。

いっそ「要介護老人がせめて寝たきりにならないように、毎日ちょっとだけお散歩する」くらいのレベルだと思った方がいい。お散歩、始めてみようかな…

 

あと「疲れたらちゃんと休む」が何より大事だなと思う。鬱病になるまで自分を追い込みがちな人間の最大の難関。

「休む」って、なんなんだ…