男/女っぽさと自分のこと
俺が自分のことを「男性」とは思わないけど(トランスジェンダー等ではないという意味)、「男性的」だなと感じているのは、根本的にむちゃくちゃ弱いからなんですよね。器が小さいと言ってもよい。
非現代的な昔の精神医学みたいな話ですが、
母性とは「全てを受け入れる、赦す、繋げる」感覚のことで、
父性とは「ものとものを切り離す、自己と他者を知る、何を許して何を許さないか判断する」感覚のこと、だと思います。
俺は母親の母親っぽさを受け取れないまま、父親の父親っぽさはしっかり受け取っていたようなので、男性的な感覚が強いんじゃないか、と自己分析しています。
これはセクシャルの話ではなくジェンダーに近い話で、つまり社会における「男/女っぽさ」の話。
性格が男勝りだというよりは、社会との関わり方、目指す役割や問題意識の持ち方が男寄りって感じ。
「根本的に弱い」というのは、極端な例で言うと「過ちを犯したら責任を持って腹を括るしかない」みたいな、生命力における弱さ。
「器の小ささ」というのは、自分がいざとなったら腹を括るべきだと思ってると他人に対しても「それはお前責任取れよ」と思ってしまう、という、厳格さ、許容値の低さ。
女性は、というか「女性っぽさ」って突き詰めると「生き残り戦略」の強さがあるなと思う。
自分が責任感じてると自分の生命活動に負担があるから、他人やもっと大きいもののせいにする、とか、それだけ人のことも許せるし、気持ちに寄り添う共感能力で連帯して生き残る力が強い。
したたか。しなやか。そして優しい。
だから人は女神像を信仰するのかもね。
男性性優位の社会はおそらく「許さない」ことによる切り捨てをもって成り立っている面があって、(最終的には形骸化してただの弱い者いじめになっていた、という面の方が濃厚だが)
それが現代でフェミニズムの流れによって女性性主体の、優しく赦す社会に移動しつつあるのだろう。
俺は古い価値観の男に育てられた、女のくせに古い男みたいな感覚の人間で、
別に一人でやっていけるかどうかなんて男か女かは関係ないと肌で理解しているから、その点ではフェミニズムに同意している者ではあるが、
もっと形なくふんわりと漂っている「時代の空気」みたいなものには正直あんまり馴染めていないように思う。
社会はどうなっていくのかな、というのはまぁ今はよくて、
自分は「側からみてどんな人」であり、「自分から見てどんな人」であり、そして「本当はどんな人」なのか、
ジェンダーなんて語れば語るほどつまらないが、社会的存在としての自己理解において、性別の概念を抜きにしては考えを深められないなぁと思った次第です。