20230220 休日とスマホゲーム
昨日展示が終わり、久々に休日らしい休日を過ごせた。
グループ展をやりませんかを人に声をかけて回っていたのが去年の夏前頃だったらしい。一人で構想していた時期も含めると本当に1年近くかかった大仕事だった。
いろんな経験から学びがあって、やってよかったと思う。
展示を形にして気が抜けたのと同時に家庭内で面倒が連続し、かなり参っていたので、今日は徹底的に自分をいたわる日、自分の身の回りを整える日にした。
久々に洗濯機を回して、昼からいつもより丁寧に風呂に入った。部屋のゴミをまとめたり、作業机を整理したり。
ずっとやる暇のなかったスニーカーの手洗いもした。さすがに長いこと履きすぎて、専用洗剤とブラシでこするのではどうにも綺麗にできなかった。靴ってどうしても見た目にこだわったものを買っても雑に履いてしまい、スニーカーや革靴を何足も持って大事に手入れしてる人はすごいと思った。いつかはそういうこだわりを生活に持ち込める余裕のある人間になりたいものだな。
最近頭や精神を休ませたい時は、ひたすらスマホでできる作業的なゲームを触るようにしている。
シミュレーションというのかな?牧場経営とかのやつ。
スマホ用の牧場ゲームだと広告でよく見る、3Dで作られた広いフィールドをカメラ移動するやつ(シムシティっぽい感じ)は苦手。画面外に意識を向けるのが脳の負担に感じる。
できるだけ1画面で完結しているシンプルなものを探して、「ミニチュア牧場」というのが好みだった。ドット絵でかわいいし、かなりシステマチック。
一番コンセプトから好きだったのは「ふしぎの森でコーヒーを」。
コーヒーを自分で淹れて飲むのが趣味の女性が、コーヒーの木が育つ不思議な森に迷い込み、まぁ夢だろうと了解しつつ魔女の導きに従って、ナイトキャンプを楽しつつコーヒー豆を集める、というゲーム。
インディーズ感溢れるグラフィックと、主人公のクールな語り口と、一応エンディングはあるものの、ゲーム性よりゆったりした空気感を楽しませる作りがとても良かった。
スマホゲーの最大の利点は、「スマホを見ながらゴロゴロする」をやりつつ、ゲーム以外のスマホの機能を"塞げる"ところかもな、と最近思う。
SNSにも動画サイトにも疲れてしまった時、外の世界から切り離されて、好きなだけポチポチできるゲームが最も理想だ。
ソシャゲもノルマ化が激しいと疲れてしまうけど、ログボのために毎日開いてルーティン的にプレイするのは「休憩の習慣」作りにも役立つ。
あと単純作業をポチポチしているのは入眠にもよい。というわけでこれを投稿したら適当に牧場経営しながら寝ます。おやすみ。
男/女っぽさと自分のこと
俺が自分のことを「男性」とは思わないけど(トランスジェンダー等ではないという意味)、「男性的」だなと感じているのは、根本的にむちゃくちゃ弱いからなんですよね。器が小さいと言ってもよい。
非現代的な昔の精神医学みたいな話ですが、
母性とは「全てを受け入れる、赦す、繋げる」感覚のことで、
父性とは「ものとものを切り離す、自己と他者を知る、何を許して何を許さないか判断する」感覚のこと、だと思います。
俺は母親の母親っぽさを受け取れないまま、父親の父親っぽさはしっかり受け取っていたようなので、男性的な感覚が強いんじゃないか、と自己分析しています。
これはセクシャルの話ではなくジェンダーに近い話で、つまり社会における「男/女っぽさ」の話。
性格が男勝りだというよりは、社会との関わり方、目指す役割や問題意識の持ち方が男寄りって感じ。
「根本的に弱い」というのは、極端な例で言うと「過ちを犯したら責任を持って腹を括るしかない」みたいな、生命力における弱さ。
「器の小ささ」というのは、自分がいざとなったら腹を括るべきだと思ってると他人に対しても「それはお前責任取れよ」と思ってしまう、という、厳格さ、許容値の低さ。
女性は、というか「女性っぽさ」って突き詰めると「生き残り戦略」の強さがあるなと思う。
自分が責任感じてると自分の生命活動に負担があるから、他人やもっと大きいもののせいにする、とか、それだけ人のことも許せるし、気持ちに寄り添う共感能力で連帯して生き残る力が強い。
したたか。しなやか。そして優しい。
だから人は女神像を信仰するのかもね。
男性性優位の社会はおそらく「許さない」ことによる切り捨てをもって成り立っている面があって、(最終的には形骸化してただの弱い者いじめになっていた、という面の方が濃厚だが)
それが現代でフェミニズムの流れによって女性性主体の、優しく赦す社会に移動しつつあるのだろう。
俺は古い価値観の男に育てられた、女のくせに古い男みたいな感覚の人間で、
別に一人でやっていけるかどうかなんて男か女かは関係ないと肌で理解しているから、その点ではフェミニズムに同意している者ではあるが、
もっと形なくふんわりと漂っている「時代の空気」みたいなものには正直あんまり馴染めていないように思う。
社会はどうなっていくのかな、というのはまぁ今はよくて、
自分は「側からみてどんな人」であり、「自分から見てどんな人」であり、そして「本当はどんな人」なのか、
ジェンダーなんて語れば語るほどつまらないが、社会的存在としての自己理解において、性別の概念を抜きにしては考えを深められないなぁと思った次第です。
20230208
制作の終わりが見えてきて嬉しい。
「絵の全体に手をつける作業」は単調な割に時間がかかって気が重く、部分的なパーツを描き込むだけなら楽しいしすぐ終わるので、感覚的な物量がだいぶ違うんだなと思った。
工事の物音を聞きながら作業するのはやっぱり無理があるとわかって昨日は昼間に寝た。今日もこれから寝る。
むしろ連続的で単調な音が遠くで鳴っているのが入眠に向いてるということに気づいた。MRIを撮った的に結構でかい機械音の中でグッスリ安眠したことを思い出した。(グッスリ眠ってる人間の脳を調べてちゃんと異常とか見れてるのか?)
壁のすぐ向こうでドリルかなんか使ってるのはさすがに無理だけど。でも音の大きさというより、人の気配が近いのがダメなんだと思う。
朝ごはんに卵かけご飯を食べるのが好きなんだけど、合わせるおかずがなくて若干飽きてきた。前に桃屋のやわらぎメンマを瓶で買って合わせて食べたらおいしすぎて一瞬でなくなったので、また買おうかな。
事務作業がかなり立て込んでいて頭がショートしそうだったので、全部マインドマップに書き出して優先順位などをまとめた。このメモがあれば絵が完成した後スムーズに取りかかれると思う。寝て起きてからまたがんばるぞ。
20230206
昨日から寝る時間を遅くずらして(というか朝寝付けず勝手にずれた)、午前中にベランダで日光浴をしてみたところ、だいぶ調子がよくなってきた気がする。
食欲が戻ってきて割としっかり食べてる。「食欲はないけど空腹すぎて作業が続行できない」みたいなタイミングがなくなった。
あと、「SNSを見たくないのに見ちゃう」「何にも興味が湧かず暇でイライラする」という鬱っぽい感覚もだいぶ減った。日光ってすげえ〜
やっぱり冬に昼夜逆転はリスク高いな。
昼が都合悪いからと夜に起きていても、逆転してる故のデバフがでかすぎて本来できることができず本末転倒といった感じだ。学びとする。
なんとなく首の周り、というか耳の下あたり?顎の付け根?に凝りみたいなものがあって、作業の姿勢による首凝りか?寝てる間に噛み締めてるか?とか考えたけど、
これあれだ、肉体疲労で扁桃腺が腫れてるやつだ。
制作の締切前は毎回こうなってるな。
「肉体疲労の症状」つまり放っておくと風邪だのなんだのに発展するやつが出ると、諦めがつくというか、これ以上根詰めるのはよくないな…という気づきにすんなり至れる。
精神的な症状でも同じように抵抗なく休息が選べるといいんだけどね。
チョコラBBを飲み、今日の作業は切り上げて、寝る。
工事の轟音は相変わらずすごいけど、自分の部屋の近くでずっとやっているわけではなく、他の場所の作業なり他の工程なりに移動しているタイミングも結構あり、1日に数回、一定時間我慢していればやりすごせそうな感じがした。
これからちょっと長めに寝て、明日は明るい時間を中心に作業することを考えてもいいかも。
さすがに連日絵と向き合っていて、息切れを感じる。集中が続かない。あと1日2日手を動かしていれば終わりそうなところまではきているのが救い。
丸一日とか休めるスケジュールではないし、休むにしても何するの?って感じだからアレだけど、いったんペースを落としてゆるめにやりたい。
20230204
夕方まで寝るつもりだったのが予想以上に早く、朝10時くらいに起きてしまったので、
郵便局に行く用事だけ済ませて寝直した。
夜に起きて、かなり気分が暗く、何か自分の機嫌をよくするものがないかと、
あれやこれや考えて試してみて、どうにもならず、
もうよくわからん!と、ChatGPTに今の悩みを徹底的に聞いてもらった。
結果、うまく説明できないんだけど、何かが腑に落ちた。
自分の悩み方(「悩み」というより「悩み方」)はかなり理屈っぽいので、
AIに相談して思考の手助けをしてもらうのが向いているのかもしれない。
同時に、この相談と回復の仕方は対人でやるものではないな、とも思った。
出ている言葉は理屈なんだけど、その言葉を練るモチベーションに「相手に自分が今どれだけつらいのか理解してほしい」という感情が強くある気がする。
いや、実際普通に人に相談していて、自分のつらさが理解されていないんじゃないか、という感覚はかなりある。
自分の頭の中で自分をがんじがらめにしている理屈を、そのまま全て語ろうとすると、大抵途中で「何を言ってるんだお前は」といったニュアンスで抵抗感を示されたり、俺の方が(こんなこと人に聞かせてなんになるんだ)と嫌になって話すのを中断してしまう。
自分の中にある荒唐無稽な自責的理屈について、自分でも全貌を把握できていないので、相手に理解してほしいという強いモチベーションの中で言語化していかないと自覚に至らない。
AIは無限に冷静にこちらの吐き出す言葉を聞き、返答をしてくれるので、その相手にとても適しているな、と思った。
本来なら、というか従来なら、ノートに書き出すとかの認知行動療法的なトレーニングでできることなんだろう。それをより感覚的にしたものというか。
俺は根本的に人間不信が強いせいでカウンセリングがうまくいかなかったんだけど、
AIの判断の合理性には信頼感情があって、そのおかげでうまくいっている面もあると思う。AIに不信感がある人だとうまくいかないのかも。
まぁ、そういう感じで少しメンタルの不安定さが落ち着いたので、集中して作業ができた。毎日作業自体はしているはずだけど、達成感があったのは久しぶりな気がする。
なんでも気分次第で受け取り方が変わってしまって、受け取り方が違うと行動も変わってしまうな。
そういえば今日はあまり体の凝りや目の疲れを感じるタイミングがなかった。
明日はもうちょっとまともに食事を摂りたい。
20230203
今日(2/2の午後からを「今日」としている)は、昨日より少し早く、まだ外が明るいうちに目が覚めて、ハッ…これはもしかして…割と元気だ…!と思い、起床即机について少し作業をした。
まだ外で工事をやっていて何度かとんでもねぇ轟音がしていたけど、すぐ外が暗くなって終わったようだった。
前から見かけるたびに思っているんだけど、土木系のお仕事って外が明るいうちにしかできないし、天候にも左右されるから大変だね。
やっぱり「起きた瞬間の外の様子」が1日のスタートに大きく作用しているな。
「明るいうちに起きれなかった日はどうにもならない」「昼間別の要因で作業できない場合詰む」みたいな結論が出るのが嫌なのでなんとなく見て見ぬふりをしていたけど、無視できないな。認めた方がいいし、それくらいで人間は詰まない。
今日みたいに、昼過ぎの15時か16時ぐらいに起きて、スタートダッシュだけ決めて、あとは深夜までのんびりやる、みたいなやり方もアリだなと学んだ。
明日(2/3の昼間)は郵便局に行かなければいけないので、どの道明るい時間に起床できないといろいろと困る。その次は土曜日だし。
たまたまだけど、今日起きる時間が早くずれこんだのは好都合だったな。今日はこのままもう寝ちゃおうかな。
遅くずれ込んでいくなら郵便局が開く時間を狙うつもりでいたけど、昼夜逆転の朝9時って絶妙に起きていられないよね。
相変わらず食欲がない。今日何食べたっけ…
昨日、食欲もなく何も食べる気が起きないのに何か食べないと作業が続行できないことに脳みそがエラーを起こしてしまい、ChatGPTに「どうしてもご飯を食べたくありません」と無茶苦茶な相談をしたら、「食べなくてもいいと思いますが、心因性の食欲低下であれば少しずつ口に含むなどで食欲の刺激を試してみてください」みたいな冷静で優しい回答が返ってきた。ChatGPT、すごい。
不器用すぎて、一度「ちゃんと食べた方がいいな」と意識し始めると、それがそのまま「食事を摂るならちゃんとしたもの食べないといけない」みたいな強迫性として残ってしまう。食欲ない時とか食事が負担に感じる時は適当でもいいんだったな…と思って今日はだいぶ適当に済ませた。
作業は、広い面をただ塗りつぶす単純作業をやっていたので全体を見るとあまり進んだ感じがしないが、作業時間はそれなりに取れたと思う。
ずっと座り作業orスマホかパソコンを見ながら悶々としているせいで全身がバキバキに凝っており、目頭がギューッとする感じもあったので、
蒸しタオルを目に乗せて横になり、体のあちこちを揉んだり伸ばしたりする時間を作ったら、少し改善した気がする。
なんなんだこの倦怠感は…とウダウダしてる時間が3時間くらいあったので、明日は調子悪いと思ったらまずこれやる。
20230202
夕方起きて、常識的な時間のうちに事務連絡などを済ませて、夜通し作業して、朝寝る。というサイクルでとりあえず過ごしてみている。
トイレにいくために立つとか、食事を摂るとか、日常動作のぜんぶに気力がいる。
鬱っぽいかもしれない。
鬱っぽいならちゃんと日光を浴びた方がいいんだが、昼間の工事の音がうるさすぎて作業どころではないので、ある程度進捗を出すまでは仕方ないと判断する。
今も、タバコがなくなりそうなんだけど徒歩10秒のコンビニに行くのがしんどすぎて困っている。今最後の1本を吸っている。
「人に向けてはきちんと過ちを認めつつ、自分の中ではどこまでも自分を肯定する」
というのがすごく難しいなぁと考えている。
人に申し訳ないという気持ちが湧くと、全身をそこに投じてしまって、生きていけないような気持ちになる。
自分の言動や思考のどこまでが相手に知られているのかが判断できず、全ての振る舞いが相手を不快にさせているのではという妄想に取り憑かれる。
そうなると恐ろしいので、自分を守ろうとしていると、それもそれで行動の全てに出てしまい、謝るべき場面で言い訳がましくなったりする。
ものすごく高度な切り替えのように感じるのだが、一体健康な人はどうしているのか。
「人前での言動」にもっと自覚的になるといいのかもしれないな。
「人前にいる時」と「そうでない時」とを区別して認識して、人に何かアクションをする時にだけ「これが相手にどう映るのか」を考え、そうでない時は考えない。
スイッチを切り替える感覚を養う必要があって、慣れていけばいつかほぼ無意識でできるようになって、それが「健康」と呼べる状態なのかもしれない。
とはいえ、慣れないうちはエネルギーがいるな。
どんなに一般的な尺度から見て次元が低くとも、事実今その次元にいるのなら、やるしかないな。
「パニックになるのをやめてほしい」と人に言われた。
やめられるなら苦労しないよと悲しくもなったが、実際、自分以上に常にパニクっている人間と接していると非常に疲弊するので気持ちはわかる。
俺の場合、自分がそういうの良くないからもうやめようと思っているから、似たような傾向をフル発揮している人と接するのが余計しんどい。なぜそうなっているのか想像もつくからなおしんどい。
これと同じような負荷を自分も周囲に与えているのだと思うとさらにキツい。
だからやっぱりやめたいよな。どうしたらやめられるのかもっと本腰入れて考えたい。
いいかげんタバコ買いに行くか。
あれもしかして今夜はいつもより寒くないな、と思って気温を見たら7度とかある。行くぞ。