急いで安全な群れの中へ

要領の悪い子もいますから

魔法を使い続けるために

私は物事を抽象的に捉えて「繋げる」のがあまりに得意なので、いろんな話題を出すことになると思うけど頑張って読んでね。
あと一人称がブレるのも癖なのでごめんね。

 

 

 

最近「僕のヒーローアカデミア」のアニメを見始めた。

元々アメコミ映画、というか「ウォッチメン」がめちゃくちゃ好きだという話を繰り返ししていたら、「ヒーローものが好き(そういう見方をしている)ならヒロアカは絶対見た方がいい」と言われ、試しに2話くらいまで見て、
これはもう、めちゃくちゃしっかり見たいな、と思ってかなりゆっくり見てる。

ちなみに「ウォッチメン」に対する私の感想はnoteがあるのでよかったら。↓

映画「ウォッチメン」の感想を書き殴ります|水井軒間|note

 

本当にまだ序盤だけど、3話「うなれ筋肉」すごいな〜と思った。

すごいというか、「わかるな〜」という、俺みたいなのがわかるな〜と思うような描写をジャンプ漫画がやっているのが、すごいな〜っていう。

2話までが重いし、タイトルからしてギャグ回かと思って油断してたのもある。

 

デクがオールマイトに能力の継承者として認められて、でもそれは精神面のみなので、肉体を間に合わせてきてね、と、すごいハードな筋トレメニューを渡されるんだけど、

デクはむしろそれを超えてオーバーワークしてしまい、オールマイトが予想していた以上にデクの目標は高いのだと見直す、みたいな回。

 

まずさ、すごいハードスケジュール、ようは苦境を突きつけられて、
「じゃあ、これ以上に頑張ったら、さらにすごい成果が出せるってこと…?」
という風に「逆に燃えちゃう」みたいなの、経験があるし、実際それではバランスが崩れて本来の目標に達する前に潰れちゃうってのも経験がある。

それに対して「お前のやる気に応えてメニューを見直してこよう」って言ってくれる指導者(監督者・保護者)は俺にはいなかったから、いいな〜と思ったけど。

(デクの「なんか僕、ズルだな…」というセリフ、お前の頑張りなんだからそんなこと言うなよ…!って視聴中は思ったけど、そう考えるとちょっとズルいな〜)

 

自分はこれまでそうやって、無茶を精神力でゴリ押すことで、本来のステータス以上の成果をあげてきたタイプの人間だよなぁと思う。

特に大学受験と大学時代はそんな感じだった。

 

 

先日友人とチャットで話している最中に流れで、大学時代に一番いい評価をもらった課題作品を自慢したら、すごく感心してもらってなんか照れてしまった。

Twitterとかで何度か再掲してるだろうけど、このブログは始めたばかりだからまた貼っちゃおう。

これは自慢なので詳細を書きますと、

F15(65x53cm)のキャンバスに、ポスカの「細」で点描をしています。

私の行っていた多摩美のグラフィックはデザイン科なのに基礎課程で絵画技法の授業があって、これは2年生の時、ジョルジュ・スーラの筆触分割(点描)の技法をそれぞれ自分なりに研究して、作品を一枚描いてこいという課題で描いたもの。
2週間与えられてる、と言いつつ多摩グラの2年生はマジで常に4つくらい課題を掛け持ちしているので、同級生は講評の週の午前中x4くらいで制作していたところを、私は「筆触分割おもしれー!!」と思ったせいで燃えに燃えてしまい、2週間の午前中+放課後マジで警備員さんがアトリエの鍵を閉めにくる夜22時とかまで点を打ちまくっていたのを覚えている。

まあ頑張った甲斐あってその学年での参考作品(優秀作品として後年の新入生向けに配られるパンフレットに載ったり、オープンキャンパスで展示されたりする)に選ばれて、卒業する時に返却してもらって今も部屋に飾っています。

(この絵実は表立って展示したことがなくて、近いうち機会が設けられたらなと思っています。売るつもりはないけど)

 

ということを長々と自慢したら、「ある期間限界まで頑張った経験のある人は本当にすごい」と、その友人の何かに刺さったみたいでとても褒められて、テレテレした次第なんだけど、

ぶっちゃけ、この次の年に鬱と摂食障害をこじらせて半年休学してるし、
復帰してからアニメーション専攻に進んで、卒制で無茶した結果就活ができなくて実家に帰らざるを得ずまた鬱こじらせたし、
卒業後の作家活動でも己を追い込みすぎて絵が描けない状態にまでなって、一回Twitterから姿を消したりしてるし、
なんか、俺の人生、主に画業において、一時期自分を追い込んだことによって出した成果や実績でなんとか理想を保っていて、それ以外の頑張り方を知らないなぁと思う。

そもそもただお絵描きが好きだっただけの田舎のオタク女子が、1年予備校に通って東京の有名な美術大学に現役で2つ合格(多摩美グラフィックと武蔵美視覚情報デザインどっちも受かっていた)してるってのも実は結構すごい話なんだろうし。(在学中は「俺は筆記が良かっただけだから対してデッサン上手くない」とずっと思っていたけど)

 

結局、現実世界には、オールマイトのような、自分の理想を実現するための能力(個性)を受け継いでくれる人や、自分がうまくそれを乗りこなせるようになるまで見守ってくれる人なんていないわけだ。
卒制を見てくれていた教授は卒業式のあと「お前は好きな絵を描き続けろよ」と言ってくれたけど、もちろん教授が生徒の面倒を見れるのは在学中だけだし。
卒業して一度完璧な孤独に陥った私を拾い上げてくれた人は単なる仕事相手になってしまった。距離をとっているのは俺の方だけど。

私は長いこと、「先輩」とか「師匠」と呼べるような関係性の人が見つからないなと思っているけど、それは私が人前でカッコつけてしまうせいもあるのだろうなと思う。

 

こんなやり方ではそう遠くないうちに死ぬと思っている。

いつかの誕生日に「フィンセント・ファン・ゴッホがギリギリ生きていた37歳まではさすがに死なないと思うから、それまでは頑張ろうと思う」みたいなことを言ったんだけど、なんかもう最近かなり調子が悪くて、37まで保たない気がしてる。

というか最近はもう全然もっと長生きしたい。絶対成功して、大金抱えて隠居して、ギラギラにオシャレした魔女みたいな最高のババアになるんだ、という新しい夢が着々と芽生えているんだけど、

せっかく復帰して半年経つのにもう心身がボロボロになってきていて、また休まないといけないのかなぁ、やだなぁと思っている。

頑張れる期間は短くなっていき、壊れ方もひどくなってき、その分必要な休養期間は長くなっていく。

そういえば27clubなんていう都市伝説があるよね。才能のあるミュージシャンや俳優が決まって27歳で薬物中毒や自殺で亡くなっているという話。その法則でいくと私は今年の12月で26歳なので、もうあと2年も保たないのかもしれない。

 

そんなの嫌じゃん。私がTwitter音沙汰なくなって心配してくれていた人たちなんか耐えられないだろうし、俺だって嫌だよ。

だからそろそろなんとかしなくちゃなあと思っている。

 

 

この間「武器と少女」がテーマの公募展に向けて、「百均魔法少女」と題した連作を描いた。

もうヤバい、かなりヤバい、絵なんか描いてる場合じゃない、と思いつつ、どうしても頭の中にあるキラキラした絵を見てもらいたくて、正直また無茶をした。

なんとか鬱を振り払いつつ自分を奮い立たせるために、ずっと音楽を聴いていたので、ここから特に気持ちが沿ってるなと思った曲を作品を見てくれた人にも聴いてもらおうかな、と思って、プレイリストを作った。

まぁ制作途中のいい息抜きにもなったし、気持ちもまとめてくれてとても良かった。

youtube.com

ピノキオピー/魔法少女とチョコレゐト』の「魔法少女をやめたい」という歌詞から始まり、

相対性理論/スマトラ警備隊』、
新しい学校のリーダーズ/最終人類』、

赤い公園/世紀末』あたりは「戦う女の子」のイメージソング。

ゲーム「NEEDYGIRL OVERDOSE」のテーマソング『INTERNET ONERDOSE』の「怖かったこと全部上書きするからね」「あなただけのデパス」、

『PEOPLE1/怪獣』の「等身大じゃ殺されちゃう」、

神聖かまってちゃん/るるちゃんの自殺配信』の「この最低な気持ちなくなる前に」、

やくしまるえつこ/少年よ我に帰れ』の「君だけに教えてあげるから困ってね」、

『PEOPLE1/魔法の歌』の「そんな自分を愛している」「いつか見失った僕らをちゃんと許してあげられるような、魔法の歌を」で締めている。

 

自分の心の中のキラキラを消費して誰かを守るために戦う「魔法少女」、

「自分の”個性”を皆のために使う」ヒロアカのヒーロー達。

自分が仮に「絵の才能」みたいなものがあるのだとして、その特殊な力を人のためにどう生かすのか、フィクションで語られてきたテーマのひとつなのかなぁと、
その辺りの考えごとがぐるっと繋がって、「百均魔法少女」シリーズはなんとか満足いくまで描き切れたなあと思う。

ただやっぱり、大きな力を限界まで追い込んだ肉体や精神力で使い切って世界を救ってきた人って、現実でもフィクションでも早死にが多い。

ある種の等価交換みたいなものとして、27clubとかも語られることが多いんだろう。

でも自分はそこから一段アップグレードされた価値観を持ちたい。死にたくないし。

 

 

魔法と言えば、最近「魔法使いの約束」というソシャゲもやっているんだけど、
自分もこの世界に生まれていたらきっと魔法使いだったのだろうとおこがましくも思って、
魔法使い達が自分の持つ魔法の力とどう向き合っているのか、割と真剣にシナリオを読んでいる。

 

本気で世界を救おうと自分を追い込んで戦ったファウストは、一度世界に絶望して死にたがっていたけどまだ生きている。

ルチルは「魔法は心で使うもので、心は言葉に引き寄せられるから、言葉は魔法と同じなんだ」と言っていた。

一度世界を破壊して征服しようとまでしたオズは今、真剣に言葉を選びながら若い魔法使いと話している。

なんとなくこのへんがヒントなのかな、と思う。

 

 

3年前、一番孤独と鬱がひどかった頃、「やさしくなりたい」という絵を描いた。

私は自分に厳しい分、他人にも厳しい。

余裕がなくて気配りができない。

自分のことで精一杯すぎて、身近にいる人ほど傷つけてしまう。

それでもやさしくなりたいと思ったら、もっと上手な魔法の使い方を覚えなくちゃ。

絵という魔法もそうだし、言葉も魔法なのだと。

 

まずは自分に優しくしなきゃねと思うけど、それが一番やり方がわからない。困ったもんだね。